1月13日

来年のイベントのお知らせです
成田小泉循環農場の小泉英政さんが「憲法いいね!の会」を立ち上げてから4回目?のイベントです
サブタイトル「暮らしの中に平和のたねを蓄える」
谷川俊太郎李 政美高橋悠治コンサート

以下小泉英政さんの文章を抜粋します
ひろがりを求めて(4)

谷川さんは現在86歳だが、姿も朗読の声も、その年齢を感じさせないものだった。詩の朗読の最後に「今日、憲法の話があったので」と前置きして『中央公論』2017年5月号「特集ー憲法の将来」に寄せた「不文律」という詩を読んでくれた。
「不文律」は是非、次のコンサート風の集いで読んで欲しいと思っている。その前半を紹介する。後半は当日のお楽しみに!

憲法は言葉だ 言葉に過ぎない
誰の言葉か?国家の言葉だ
そこには我々日本人の言葉も入ってるが
〈私〉の言葉は入ってない
私はこういう言葉では語らないからだ
憲法の言葉は上から降ってくる
下から湧いてこない
だから私の身につかない
だが憲法の言っていることを
私は日々の暮らしで行っていると思う

憲法の言葉が行いになるのではない
私の中には言葉のない行いがあるだけだ
そこが憲法有史以来の古里だろう
私は実は国家というものが苦手だ
国家のおかげで生活しているのは確かだが

ぼくが、谷川さんに出演して欲しいと思ったのは、直感だ。悠治さんと谷川さん、2人の組み合わせは、憲法いいね!の会を始めてから時々、頭をもたげていた。。
谷川さんに会う前に、全く直感だけでは申し訳ないと思ってあれこれ調べ「不文律」の存在を知った。その時は、それが文章なのか、詩なのか分からなかった。だが不文律という言葉から、ぼくは1998年の朝日新聞に載った鶴見俊輔さんの談話の中の「私の憲法」を連想していた。
「私の憲法をもつこと。慣習法としての憲法で、人を殺したくない、平和であってほしいと願うなら、そのことを自分の憲法にし、心にとめておいたらいい」
憲法いいね!の会を始めた頃にこの言葉を見つけて、ぼくは随分救われた。理論の鎧をまとうことが嫌いなぼくにとって、この言葉から受けたものは大きい。
慣習法も不文律も同じような意味を持つ。法律が成文化される以前の社会の暮らしの中で、お互いに了解し守りあっていた決まりごとを指す。
市立図書館で「不文律」の詩を読み、憲法に対する接し方が鶴見さんも谷川さんも同じだと感じ、ぼくの直感が当たっていたと思った。自分で黙読した時より、会場で谷川さんの朗読を聴いた時の方が気持ちよく胸に響いてきた。谷川さんの朗読の力なのだろう。

これを読んだら谷川俊太郎さんの「不文律」の朗読を聞いてみたくなった
何よりこの文章は前もあり、続いている
李 政美さん紹介の文章もとても深く掘り下げていて小泉さんのこのイベントに懸ける情熱が物凄いです
現在300人弱のホールで200枚はチケットが売れたそうです
興味がある方は是非下記までお問合せください
イープラスhttp://eplus.jp
憲法いいね!の会・シアターXカイ(予約受付のみ)
E-mail : kenpoiine@uni-factory.jp

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